私は、小売りの酒屋、鉄工所を営む両親の次男として生地の芦崎に育ちました。子供時代は酒の配達の手伝い、大学時代は、年間3カ月、実家の鉄工所でアルバイトをしました。小学校時代は、当時県一になった野球チーム「生地ラビット」に所属していました。自身は補欠でした。
就職してからは、東京、転勤で神戸、群馬、北京(中国)、札幌、金沢で暮らしました。様々な街に暮らす中で、「黒部ではどうなっているのだろう?、黒部にもこれがあるといいよね、黒部ならもっとできるのではないか」と妻(村椿出身)、子供達と話しながら過ごしてきました。
実家での経験を踏まえ、中小企業で働く方々の労働条件を少しでも良くしたいとの思いで旧労働省に入省しました。
東日本大震災では、緊急対応、災害の教訓のとりまとめや復興支援に携わり、雇用対策、ボランティア、NPO、男女共同参画等の課題に約5年、取り組みました。被災地では社会課題解決のための先進的な取組が行われています。懸命に復興に取り組む人達の姿を見て、心を打たれ、畏敬の念を抱きながら一緒に仕事をし、自分も「黒部のために何かしたい」との思いを強く抱くようになりました。
これに加えて、被災地では時計の針が10年先に進み高齢化等「課題の先進地」となりました。「課題の先進地から課題解決の先進地になろう」との呼びかけのもと、コミュニティの再建、孤立防止、移動困難者対策、子育て支援、空き家の改修、農業と福祉の連携、漁業の就業者確保など社会課題解決のための様々な先進的な取組が行われており、それらの団体への支援、横展開の支援に携わることができました。これらの取組・経験を活かして、「黒部をさらにもっと良くしたい。」と思い、2021年12月に退職しました。
黒部には、温かな方々、素晴らしい活動をされている方が多いと感じています。
老いた母親は近所の人々にさりげなく見守ってもらっていました。また、おじの同級生同士の仲の良い交流をみるにつけ、地域ならではの生活の豊かさを感じています。退職して、年末から、市内の皆さんと対話をするにつけ、黒部でも優れた起業家、古民家を改修し素敵なカフェを営んでいる移住者、特色ある人を取材・発信しているライター、高齢者の健康のためのサークルのリーダーなど、素晴らしい活動をされている方が多くいることが分かりました。
子育てママ世代のサークルリーダーは、自然に地域で子供を見守ってくれ、大変有難いといっています。
また、黒部峡谷はもちろん、振り返るとそびえる立山連峰、愛本橋付近からの黒部扇状地の眺め、くろべ牧場からみる富山湾の夕日、生地の清水といった自然があります。みなさんにとって当たり前と感じている、自然、人の素晴らしさを他所にいっていた私だからこそ、良さを再発見し、発信していきます。
黒部市は他の自治体と比して経済的な面で比較的安定していることもあり、私自身、東北の被災地での復興に向けた熱い議論を多く見てきたことから、市民の皆さんが黒部のまちの未来を我がこととして考えている方が少ないのではないかとの思いをもっていました。また、考えていたとしても同じ業界等の枠の中だけで議論されているのではないかとも感じていました。
市民の皆さんが黒部のまちづくりについて自分事として捉え、まちづくりの議論に誰もが参加でき、様々な立場の方がその枠を超えて黒部のまちの未来について、みんなで考えていく「みんなでつくろう黒部の未来」を目指してまいります。
少子高齢化、東日本大震災、コロナ禍、地球温暖化。若い世代ほど社会課題の解決に取り組みたいとの思いが強くなり、今後、民間企業、非営利団体にかかわらず、社会的活動に携わりたい方が増えていくと考えられます。
黒部でも社会課題の解決(チャレンジ、夢の実現)のために生き生きと活動する素敵な方々を応援していきたいと考えています。
東日本大震災対応に従事したこと、労働行政の経験を生かして、人口減少化の中でも、「黒部の人って、生き生きと活躍しているよね、温かいね。」と「誰もが自分らしく輝き、人が人を呼び込むまち黒部」を目指していきます。
このため、黒部市内の人と人をつなぎ、また、市内と市外の人をつなぎます。また、市民の皆さんの意見をよく聴きながら、一緒に黒部をさらに良い街にして、財政的にも豊かにし、結果として、黒部を「出かけやすく散歩して楽しいまち」、「心豊かで笑顔あふれるまち」にすることに命を懸けて取り組みます。
繰り返しになりますが、市民の皆さんが黒部のまちづくりについて自分ごととして捉え、様々な立場の方がその枠を超えて黒部のまちの未来について、みんなで考えていくこと、即ち「みんなでつくろう黒部の未来」を目指していきます。そして、この考えを基に市民の皆さんの新しいチャレンジを市民の皆さんや行政も含めみんなで応援し、「住む人が輝き、その人の魅力によって人が人を呼び込むまち、黒部市」にしていきたいと考えています。
「黒部」という名は、皆さんもご承知のとおり、全国的に知名度が高く、コンパクトな地形の中に、山、川、海、丘がそろった美しい自然、そして「水」もあります。そして、市長に就任して以降、各地区に足しげく訪問し、改めて分かったことは、各地区には様々な伝統行事やイベントがあり、様々な分野で活躍する人がたくさんおられるということです。
また、産業面でも、米、魚が美味しく、加えて、名水ポークをはじめ農業・水産業には、まだまだ可能性があります。また、製造業では言うまでもありませんがYKKグループや、そのほかにも特色のある製品を作る企業が多数あります。
観光面でも黒部峡谷、宇奈月温泉をはじめとする名所の数々、ここに来るための新幹線駅があります。最近では道の駅KOKOくろべには年間約 90 万人が訪れています。スポーツ・文化面でも、黒部名水マラソン、アクアフェアリーズ、スキー場、黒部シアター、モーツアルト音楽祭など様々あります。
人をはじめ、こうした豊富な資源(リソース)・コンテンツをより、密接に有機的に、つなぎ合わせることで、黒部の潜在力(ポテンシャル)を具体化し、さらに黒部の力を引き出し、「黒部」の価値を向上させるとともに、黒部の暮らしをアピールし、高い知名度を生かしながら「よりかっこよく輝く黒部」を発信していきます。そうすることで観光で人を呼び、黒部の誰かを訪ねて何度も黒部に訪れる人を増やし(関係人口増加)、移住者を増やし、人がやってきて、活気のあるまちにしていきます。
私のこれまでのご縁、人脈も活用します。
約30年黒部を離れ、東京、神戸、前橋、北京(中国)、札幌、金沢に住んだ自分だからこそできる、黒部の良さの再発見、発信に努めます。
多くの人に出会い、黒部市内の人と人をつなぎ、また、市内と市外の人をつなぎ、黒部の魅力を高めていきます。
長年、離れていたので、市民の皆さんと膝を突き合わせ対話を重ね、みんなで黒部の未来を創っていきます。

武隈 義一
1967年(昭和42年)生まれ 54歳 黒部市生地吉田(芦崎)育ち
| 1992年 | 旧労働省入省(現在の厚生労働省) |
|---|---|
| 2005年〜2008年 | 在中国日本大使館勤務(北京) |
| 2011年4月〜10月 | 厚生労働省東日本大震災災害対策本部・復興対策本部 |
| 2011年11月~2013年7月 | 内閣府防災 ※東日本大震災の教訓を取りまとめ、2度の災害対策基本法の改正に従事 |
| 2016年3月~2018年5月 | 復興庁参事官 ※雇用・ボランティア・NPO・男女共同参画担当 |
| 2020年4月〜2021年3月 | 石川労働局長 ※コロナ禍の雇用の維持、働き方改革と人材確保に注力 |
| 2021年4月~12月 | 厚生労働省地方課業務改善分析官 |
| 2022年4月 | 黒部市長 現在に至る |